アートをよもう

安藤忠雄:芸術新潮 2015年11月号を読んで

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建築は独学で学んだ。

元プロデューサー。

安藤忠雄は、なんの後ろ盾もなく、徒手空拳で闘い続け、世界的建築家へと上りつめた。

安藤の光、風、地形など自然の要素を生かした“その場所にしかいない建築”は国内外で高い評価を受け、中でも現代アートの世界では絶大なる支持を集めている。

世界中のトップアーティストたちが、最大限の敬愛の念を込めて「ANDO」とつぶやく。

彼らはANDO建築に何を見出しているのか。

安藤忠雄とその作品の魅力を、建築家とアーティスト、クラインアントという新たな視点で解き明かす。

ANDOにとってクライアントとは?

建築は建築家ひとりでつくることができるわけではありません。

土地と資金を準備して建物を発注するクライアント、設計を行なう建築家、建築家=設計者が描いた図面のもと実際にそれをつくる施工者、この三者の共同作業によって、建築はつくられます。

建築は文化を担うべきものではありますが、あくまで経済行為の一部です。

その意味で、ひとつの建築の誕生においては、クライアントこそ中心であり、大きな役割を果たすのだともいえます。

この点が語られることは意外に少ないのですが、歴史に残るような創造者の背後には、必ずその才能を見出し、チャンスを与えた、パトロンともいうべき、すぐれたクライアントの存在があります。

たとえば、よく知られているのは、スペイン、カタルーニャ地方に生まれた天才建築家アントニオ・ガウディの生涯を支えたグエル家ですね。

フランク・ロイド・ライトの<落水荘>のクラインはデパート王エドガー・カウフマンで、ミース・ファン・デル・ローエの<ファンズワース邸>では女性医師エディス・ファンズワースです。

名作と呼ばれる建築の多くの傍らには、その造形のユニークさに負けないような、個性的なクライアントがいました(女医ファンズワースはミースの年の離れた恋人で、竣工後、工事費をめぐってミースを相手に訴訟を起こしています)。

ANDOとアーティスト

吉原 治良(よしはらじろう)

安藤忠雄が初めて出会った現代アートは、具体美術だった。

1960年代の大阪のモダンジャズ喫茶「チェック」。

安藤は、この店で具体メンバーと知り合った。

ニューヨークのグッゲンハイム美術館で大回顧展(2013年)が開かれるなど、世界的に再注目され、高い評価を受けている具体美術協会だが、結成されたのは1954年。

吉原治良の「人の真似をするな。今までにないものを作れ」という言葉のもと、白髪一雄は足で描き、泥と格闘、田中敦子は色とりどりの電球をつけた《電機服》で走り、嶋本昭三(しょうぞう、1928-2013)は、「大砲絵画パフォーマンス」で瓶詰めの絵具を撒き散らした。

「こんなものまでが芸術なのか!」と衝撃を受けた安藤は、彼らのエネルギッシュな活動に大いに刺激されたという。

安藤が建築家を目指しはじめたのは、10代の終わりから20歳になる頃だった。

17歳でデビューしたプロボクシングは2年で引退。

その後、知り合いに紹介されインテリアの仕事を手掛け、建築家への夢を膨らませた。

そして独学での挑戦を始めた。

大学の建築科で使われている教科書を買い集め、一年で読破する計画を立てた。

アルバイト先でも昼食時にパンをかじりながら読書に集中、夜も寝る間を惜しんで頁をめくっていった。

1963年、22歳の時に日本一周の旅に出る。

64年、日本で一般の海外渡航が自由化されると翌年には、シベリア鉄道経由でヨーロッパに向かった。

目的は、建築行脚。

安藤が具体の作家たちと出会ったのは、こうして建築家を目指しひとりでもがいていた頃だった。

そして1969年、28歳の安藤は梅田のマンションの一室に小さな設計事務所を開設した。

有名大学で学んだ人たちが華々しく活躍する建築の世界で、“独学”という移植の経歴の男の孤独な戦いが始まったのである。

東京で見られる安藤の建築

「21_21 DESIGN SIGHT」外観

東京ミッドタウンにある「21_21 DESIGN SIGHT」も、優れた企画力で、時間と共に存在感を強めている施設のひとつです。

プロジェクトの発案者は、デザイナーの三宅一生さん。

「資源を持たない国が未来を生き抜いていくには、想像力=デザイン力を発揮するしかない。そのための情報発信基地=デザインミュージアムをつくろう」という訴えが関係者の共感を呼び、プロジェクトが構想され、ついには実現へと至ったのです。

法則制を含めた立地条件から、床面積の約8割は地下に埋める計画となりました。

必然的に、地下部分は、周辺風景、ランドスケープの一部をとしてあるようなスケールの建築になります。

一方で、一生さんからは「絵をかける壁は必要ない。大切なのは空間だ」と言われていました。

どんな形にすべきか、いくつかのヴァリエーションを検討した末に、最終的に行き着いたのは、三角形に折り込んだ2枚の大屋根が地面と連続するように立ち上がる建築です。

折り紙のようなイメージは、「一枚の布が身に付ける身体の個性によって異なる立体のフォルムをつくりだす」という一生さんの服づくりのコンセプトに着想を得たものだった。

「21_21 DESIGN SIGHT」の特徴は、コレクションを持たない施設だというところ。

一生さんと佐藤卓さん、深澤直人さん、3人の日本を代表する現役デザイナーがディレクターとなって、日本独自の企画展を展開していっています。

ひとりのデザイナーやアーティストをフィーチャーするような単純な個展形式ではなく、ひとりのテーマに複数の作家が参加して、一緒に展示空間をつくり上げています。

だからテーマによって毎回、空間の印象が一変して感じられ、驚かされます。