律宗(りっしゅう)
律宗は正式には南山律宗といい、唐の道宣(どうせん、南山大師)によって開かれました。
この道宣の高弟(こうてい、弟子の中でも特に優れた者)が有名な鑑真(渡海大師)です。
鑑真は、5度の渡航の失敗を乗り越えて、66歳にして日本の土を踏み、この教えを伝えました。
多くの人々に正式の戒律を授けています。
759年には、戒律を修める道場として唐招提寺(律宗開創<初めてその寺を開くこと>)以来の総本山)を開きました。
特徴
戒律にもとづいて、身・口・意の三つの行為において実践していくことが仏へ至る道として強調されています。
法相宗(ほっそうしょう)
法相宗は、三蔵法師・玄奘(げんじょう)に端を発しています。
玄奘はインドのナーランダ大学で、シーラバドラに咖識(ゆいしき)教学を学び、多くの典籍(てんせき、書物のこと)を持ち帰り、長安で翻訳事業に専念しました。
そして、その弟子の基(き)が、師の伝えた唯識教学を法相宗として大成しました。
そこで彼が、法相宗の宗祖とされています。
日本からは、道昭(どうしょう)が入唐して、直接、玄奘から法相教学を学び、日本に伝えました。
興福寺・薬師寺の二寺が本山です。
特徴
法相宗の教義は咖識(ゆいしき)哲学にもとづいています。
唯識哲学とは、私たちが認識することによって、初めて事物は存在するのであって、い
っさいものは実在せず、心だけが実在する、という考え方です。
華厳宗(けごんしゅう)
華厳宗は『華厳経』の教えにもとづいて開かれた宗派で、第一祖・社順(とじゅん)に始まり、第三祖・賢首大師法蔵(げんじゅだいしほうぞう)によって大成されました。
日本には唐僧・道璿(どうせん)が、「華厳経』と華厳経典を初めて伝えたといわれます。
また新羅に留学した僧、審祥(しんじょう)は、良弁(ろうべん)の金鐘寺(こんしゅじ)に招かれ、740年から『華厳経』六十巻の講義をしています。
これが日本における華厳宗の始まりで、審祥の教えを受けた良弁はこの宗旨を広めていきました。
そして聖武天皇も信奉するところとなり、良弁の金鐘寺の所に東大寺(総本山)が建てられ、『華厳経」の教主である盧舎那(るしゃな)大仏ならびに大仏殿が完成されています。
したがって、社順と良弁が宗祖とされ、審祥は始祖とされています。
特徴
華厳教学では、仏教の元来の縁起説を発展させた法界縁起(ほっかいえんぎ)というものを説いています。
これはちょうど太陽の光(盧舎那仏の象徴)が重なり合っても、お互いに妨げ合うことがないように、すべてのものがそれぞれ無限に関係し合いながら、お互いに妨げことなく調和して存在している、という「融通無礙(ゆうずうむげ)」の世界を示したものです。
そしてこれが『華厳経』によって明かされた仏の無限の世界なのです。